聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士(記)
-------
◆今日の聖書物語
マルコによる福音
(3:22-30)
3:22
また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。
3:23
そこでイエスは彼らを呼び寄せ、譬をもって言われた、「どうして、サタンがサタンを追い出すことができようか。
3:24
もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。
3:25
また、もし家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。
3:26
もしサタンが内部で対立し分争するなら、彼は立ち行けず、滅んでしまう。
3:27
だれでも、まず強い人を縛りあげなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることはできない。縛ってからはじめて、その家を略奪することができる。
3:28
よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。
3:29
しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。
3:30
そう言われたのは、彼らが「イエスはけがれた霊につかれている」と言っていたからである。
-------
週日の福音朗読
年間第3月曜日 マルコによる福音 (3:22-30)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_45.htm
-------
今日の『み言葉』について
http://www.donboscojp.org/sdblogos/D8_49.htm
-------
ヘブル人への手紙
(9:15、24-28)
9:15
それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、召された者たちが、約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。
9:24
ところが、キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである。
9:25
大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。
9:26
もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。
9:27
そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、
9:28
キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。
-------
Psalm:詩篇
(98:1-6)
歌
98:1
新しき歌を主にむかってうたえ。
主はくすしきみわざをなされたからである。
その右の手と聖なる腕とは、
おのれのために勝利を得られた。
98:2
主はその勝利を知らせ、
その義をもろもろの国民の前にあらわされた。
98:3
主はそのいつくしみと、まこととを
イスラエルの家にむかって覚えられた。
地のもろもろのはては、われらの神の勝利を見た。
98:4
全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。
声を放って喜び歌え、ほめうたえ。
98:5
琴をもって主をほめうたえ。
琴と歌の声をもってほめうたえ。
98:6
ラッパと角笛の音をもって
王なる主の前に喜ばしき声をあげよ。
-------
◆今日の読書
ローマ人への手紙
(8:18-39)
8:18
わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。
8:19
被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。
8:20
なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、
8:21
かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。
8:22
実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。
8:23
それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。
8:24
わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。
8:25
もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。
8:26
御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。
8:27
そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。
8:28
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
8:29
神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。
8:30
そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。
8:31
それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。
8:32
ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。
8:33
だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。
8:34
だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。
8:35
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
8:36
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」
と書いてあるとおりである。
8:37
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。
8:38
わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、
8:39
高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。
-------
◆教会カレンダー
http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/
◆今週の聖書朗読 (新共同訳)(イエスのカリタス修道女会)
http://www.m-caritas.jp/reading.html
◆携帯で読む聖書(口語訳)
http://www.keitaibible.net/m2/index.html
◆口語訳聖書(PDF版)
http://bible.salterrae.net/kougo/pdf/
◆カトリック千葉寺教会
http://www.chiba-net.or.jp/~sscchiba/
◆CNA今日の聖書朗読(英語)
http://www.catholicnewsagency.com/calendarday.php?date=2011-1-24
◆Douay-Rheims Bible
http://www.drbo.org/
◆The World English Bible
http://ebible.org/web/