3.07.2011

Today's Bible story

今日3月7日(月)も良い日でありますように。

(聖ペルペトゥア 聖フェリチタス殉教者)

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◆今日の聖書物語


マルコによる福音
(12:1-12)

12:1
 そこでイエスは譬で彼らに語り出された、「ある人がぶどう園を造り、垣をめぐらし、また酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。

12:2
 季節になったので、農夫たちのところへ、ひとりの僕を送って、ぶどう園の収穫の分け前を取り立てさせようとした。

12:3
 すると、彼らはその僕をつかまえて、袋だたきにし、から手で帰らせた。

12:4
 また他の僕を送ったが、その頭をなぐって侮辱した。

12:5
 そこでまた他の者を送ったが、今度はそれを殺してしまった。そのほか、なお大ぜいの者を送ったが、彼らを打ったり、殺したりした。

12:6
 ここに、もうひとりの者がいた。それは彼の愛子であった。自分の子は敬ってくれるだろうと思って、最後に彼をつかわした。

12:7
 すると、農夫たちは『あれはあと取りだ。さあ、これを殺してしまおう。そうしたら、その財産はわれわれのものになるのだ』と話し合い、

12:8
 彼をつかまえて殺し、ぶどう園の外に投げ捨てた。

12:9
 このぶどう園の主人は、どうするだろうか。彼は出てきて、農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人々に与えるであろう。

12:10
 あなたがたは、この聖書の句を読んだことがないのか。『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。

12:11
 これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』」。

12:12
 彼らはいまの譬が、自分たちに当てて語られたことを悟ったので、イエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。そしてイエスをそこに残して立ち去った。


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週日の福音朗読
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_81.htm


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今日の『み言葉』について
http://www.donboscojp.org/sdblogos/D8_85.htm


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『 トビト記(1:3、2:1b-8)

1章3節
 わたしトビトは、生涯を通じて真理と正義の道を歩み続けた。またわたしは、一緒に捕らえられてアッシリア人の地ニネベに行った親族や同胞の者たちのために多くの慈善の業を行った。

2章1節b
 さて、五旬祭の日、すなわち七週祭の聖なる日に、ごちそうがわたしのために準備され、食事をするために席に着いた。

2章2節
 わたしの傍らに食卓が設けられ、多くの料理が運ばれた。そこでわたしは、息子トビアに言った。「わが子よ、捕らわれの身となってニネベの町にいるわたしたちの同族のうちで、本当に神を心に留めている貧しい人を見つけて連れて来なさい。その人と一緒に食事をしよう。わたしはお前が戻って来るまで待っているつもりだ。」

2章3節
 そこでトビアは、同族のうちでだれか貧しい人がいないかと探しに出かけた。しかし彼が戻って来て、「父よ」と言ったので、わたしが、「わが子よ、どうしたのだ」と尋ねると、彼は答えて言った。「わたしたちの部族の一人が殺されて広場に投げ捨てられております。たった今そこで首を絞められて殺されたのです。」

2章4節
 そこでわたしは、料理には全く手をつけずに家から飛び出し、その死体を広場から運び去り、日没を待って埋葬するため、一軒の小屋に安置しておいた。

2章5節
 家に戻り、身を洗い清めてから食事をしたが、悲しい気持であった。

2章6節
 預言者アモスが、ベテルの人々に語って言った言葉、/「お前たちの祭りは悲しみに、/お前たちの歌はことごとく嘆きの歌に変わる」を思い出し、

2章7節
 泣き悲しんだ。日が沈むとわたしは出かけて行き、穴を掘り、死体を埋葬した。

2章8節
 近所の人たちは、わたしをあざ笑って言った。「この男はもう恐れていないのか。かつて、今と同じ事をやり、命をねらわれて逃げたのではなかったのか。それなのに、見よ、また死人を葬っている。」 』

iばいぶるメニュー検索新共同訳旧約聖書続編トビト記より引用
http://www.bible.or.jp/i2/ni_apo.html


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Psalm:詩篇
(111:1-6)

口語訳では
(112:1-6)

112:1
 主をほめたたえよ。主をおそれて、そのもろもろの戒めを大いに喜ぶ人はさいわいである。

112:2
 その子孫は地において強くなり、正しい者のやからは祝福を得る。

112:3
 繁栄と富とはその家にあり、その義はとこしえに、うせることはない。

112:4
 光は正しい者のために暗黒の中にもあらわれる。主は恵み深く、あわれみに満ち、正しくいらせられる。

112:5
 恵みを施し、貸すことをなし、その事を正しく行う人はさいわいである。

112:6
 正しい人は決して動かされることなく、とこしえに覚えられる。


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◆今日の読書


ヤコブの手紙
(2:14-26)

2:14
 わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。

2:15
ある兄弟または姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠いている場合、

2:16
 あなたがたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。

2:17
 信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。

2:18
 しかし、「ある人には信仰があり、またほかの人には行いがある」と言う者があろう。それなら、行いのないあなたの信仰なるものを見せてほしい。そうしたら、わたしの行いによって信仰を見せてあげよう。

2:19
 あなたは、神はただひとりであると信じているのか。それは結構である。悪霊どもでさえ、信じておののいている。

2:20
 ああ、愚かな人よ。行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。

2:21
 わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。

2:22
 あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ、

2:23
 こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。

2:24
 これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。

2:25
 同じように、かの遊女ラハブでさえも、使者たちをもてなし、彼らを別な道から送り出した時、行いによって義とされたではないか。

2:26
 霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。


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◆教会カレンダー
http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/

◆今週の聖書朗読 (新共同訳)(イエスのカリタス修道女会)
http://www.m-caritas.jp/reading.html

◆携帯で読む聖書(口語訳)
http://www.keitaibible.net/m2/index.html

◆口語訳聖書(PDF版)
http://bible.salterrae.net/kougo/pdf/

◆カトリック千葉寺教会
http://www.chiba-net.or.jp/~sscchiba/

◆CNA今日の聖書朗読(英語)
http://www.catholicnewsagency.com/calendarday.php?date=2011-3-7

◆Douay-Rheims Bible
http://www.drbo.org/

◆The World English Bible
http://ebible.org/web/