十字架称賛(祝)
◆今日の聖書物語
ヨハネによる福音
(3:13-17)
3:13
天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。
3:14
そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。
3:15
それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。
3:16
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
3:17
神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。
★今日の『み言葉』について
http://www.donboscojp.org/sdblogos/
http://www.donboscojp.org/sdblogos/D8_249.htm
★民数記
(21:4b-9)
21:4b
民はその道に堪えがたくなった。
21:5
民は神とモーセとにむかい、つぶやいて言った、「あなたがたはなぜわたしたちをエジプトから導き上って、荒野で死なせようとするのですか。ここには食物もなく、水もありません。わたしたちはこの粗悪な食物はいやになりました」。
21:6
そこで主は、火のへびを民のうちに送られた。へびは民をかんだので、イスラエルの民のうち、多くのものが死んだ。
21:7
民はモーセのもとに行って言った、「わたしたちは主にむかい、またあなたにむかい、つぶやいて罪を犯しました。どうぞへびをわたしたちから取り去られるように主に祈ってください」。モーセは民のために祈った。
21:8
そこで主はモーセに言われた、「火のへびを造って、それをさおの上に掛けなさい。すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」。
21:9
モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた。
★Psalm:
詩編
(78:1-2,34-38)
アサフのマスキールの歌
78:1
わが民よ、わが教を聞き、わが口の言葉に耳を傾けよ。
78:2
わたしは口を開いて、たとえを語り、いにしえからの、なぞを語ろう。
78:34
神が彼らを殺されたとき、彼らは神をたずね、悔いて神を熱心に求めた。
78:35
こうして彼らは、神は彼らの岩、いと高き神は彼らのあがないぬしであることを思い出した。
78:36
しかし彼らはその口をもって神にへつらい、その舌をもって神に偽りを言った。
78:37
彼らの心は神にむかって堅実でなく、神の契約に真実でなかった。
78:38
しかし神はあわれみに富まれるので、彼らの不義をゆるして滅ぼさず、しばしばその怒りをおさえて、その憤りをことごとくふり起されなかった。
★ピリピ人への手紙
(2:6-11)
2:6
キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、
2:7
かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、
2:8
おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
2:9
それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。
2:10
それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、
2:11
また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。
◆今日の読書
ガラテヤ人への手紙
(2:19-3:7、13-14、6:14-16)
2:19
わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。
2:20
生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。
2:21
わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死はむだであったことになる。
3:1
ああ、物わかりのわるいガラテヤ人よ。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に描き出されたのに、いったい、だれがあなたがたを惑わしたのか。
3:2
わたしは、ただこの一つの事を、あなたがたに聞いてみたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからか、それとも、聞いて信じたからか。
3:3
あなたがたは、そんなに物わかりがわるいのか。御霊で始めたのに、今になって肉で仕上げるというのか。
3:4
あれほどの大きな経験をしたことは、むだであったのか。まさか、むだではあるまい。
3:5
すると、あなたがたに御霊を賜い、力あるわざをあなたがたの間でなされたのは、律法を行ったからか、それとも、聞いて信じたからか。
3:6
このように、アブラハムは「神を信じた。それによって、彼は義と認められた」のである。
3:7
だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。
3:13
キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。
3:14
それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。
6:14
しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。
6:15
割礼のあるなしは問題ではなく、ただ、新しく造られることこそ、重要なのである。
6:16
この法則に従って進む人々の上に、平和とあわれみとがあるように。また、神のイスラエルの上にあるように。
☆Twitter
http://www.twitter.com/peabutty
◆携帯で読む聖書(口語訳)
http://www.keitaibible.net/m2/index.html
◆口語訳聖書(PDF版)
http://bible.salterrae.net/kougo/pdf/
◆教会カレンダー
http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/
◆今週の聖書朗読 (新共同訳)(イエスのカリタス修道女会)
http://www.m-caritas.jp/reading.html
◆カトリック千葉寺教会
http://www.chibaderacatholic.jp/
◆CNA今日の聖書朗読(英語)
http://www.catholicnewsagency.com/calendarday.php?date=2011-9-14
◆Douay-Rheims Bible
http://www.drbo.org/
◆The World English Bible
http://ebible.org/web/