聖アグネスおとめ殉教者(記)
-------
◆今日の聖書物語
マルコによる福音
(3:13-19)
3:13
さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。
3:14
そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、
3:15
また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
3:16
こうして、この十二人をお立てになった。そしてシモンにペテロという名をつけ、
3:17
またゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
3:18
つぎにアンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、
3:19
それからイスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。イエスが家にはいられると、
-------
今日の『み言葉』について
http://www.donboscojp.org/sdblogos/D8_47.htm
-------
ヘブル人への手紙
(8:6-13)
8:6
ところがキリストは、はるかにすぐれた務を得られたのである。それは、さらにまさった約束に基いて立てられた、さらにまさった契約の仲保者となられたことによる。
8:7
もし初めの契約に欠けたところがなかったなら、あとのものが立てられる余地はなかったであろう。
8:8
ところが、神は彼らを責めて言われた、「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ日が来る。
8:9
それは、わたしが彼らの先祖たちの手をとって、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約にとどまることをしないので、わたしも彼らをかえりみなかったからであると、主が言われる。
8:10
わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。
8:11
彼らは、それぞれ、その同胞に、また、それぞれ、その兄弟に、主を知れ、と言って教えることはなくなる。なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、彼らはことごとく、わたしを知るようになるからである。
8:12
わたしは、彼らの不義をあわれみ、もはや、彼らの罪を思い出すことはしない」。
8:13
神は、「新しい」と言われたことによって、初めの契約を古いとされたのである。年を経て古びたものは、やがて消えていく。
-------
Psalm:詩篇
(85:8,10-14)
口語訳では
(85:8,10-14)
85:7
主よ、あなたのいつくしみをわれらに示し、あなたの救をわれらに与えてください。
85:9
まことに、その救は神を恐れる者に近く、その栄光はわれらの国にとどまるでしょう。
85:10
いつくしみと、まこととは共に会い、義と平和とは互に口づけし、
85:11
まことは地からはえ、義は天から見おろすでしょう。
85:12
主が良い物を与えられるので、われらの国はその産物を出し、
85:13
義は主のみ前に行き、その足跡を道とするでしょう。
-------
◆今日の読書
ローマ人への手紙
(7:1-13)
7:1
それとも、兄弟たちよ。あなたがたは知らないのか。わたしは律法を知っている人々に語るのであるが、律法は人をその生きている期間だけ支配するものである。
7:2
すなわち、夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって彼につながれている。しかし、夫が死ねば、夫の律法から解放される。
7:3
であるから、夫の生存中に他の男に行けば、その女は淫婦と呼ばれるが、もし夫が死ねば、その律法から解かれるので、他の男に行っても、淫婦とはならない。
7:4
わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのである。それは、あなたがたが他の人、すなわち、死人の中からよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至るためなのである。
7:5
というのは、わたしたちが肉にあった時には、律法による罪の欲情が、死のために実を結ばせようとして、わたしたちの肢体のうちに働いていた。
7:6
しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである。
7:7
それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。
7:8
しかるに、罪は戒めによって機会を捕え、わたしの内に働いて、あらゆるむさぼりを起させた。すなわち、律法がなかったら、罪は死んでいるのである。
7:9
わたしはかつては、律法なしに生きていたが、戒めが来るに及んで、罪は生き返り、
7:10
わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。
7:11
なぜなら、罪は戒めによって機会を捕え、わたしを欺き、戒めによってわたしを殺したからである。
7:12
このようなわけで、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。
7:13
では、善なるものが、わたしにとって死となったのか。断じてそうではない。それはむしろ、罪の罪たることが現れるための、罪のしわざである。すなわち、罪は、戒めによって、はなはだしく悪性なものとなるために、善なるものによってわたしを死に至らせたのである。
-------
◆教会カレンダー
http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/
◆今週の聖書朗読 (新共同訳)(イエスのカリタス修道女会)
http://www.m-caritas.jp/reading.html
◆携帯で読む聖書(口語訳)
http://www.keitaibible.net/m2/index.html
◆口語訳聖書(PDF版)
http://bible.salterrae.net/kougo/pdf/
◆カトリック千葉寺教会
http://www.chiba-net.or.jp/~sscchiba/
◆CNA今日の聖書朗読(英語)
http://www.catholicnewsagency.com/calendarday.php?date=2011-1-21
◆Douay-Rheims Bible
http://www.drbo.org/
◆The World English Bible
http://ebible.org/web/