キリスト教一致祈祷週間開始(25日まで)
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◆今日の聖書物語
マルコによる福音
(2:23-28)
2:23
ある安息日に、イエスは麦畑の中をとおって行かれた。そのとき弟子たちが、歩きながら穂をつみはじめた。
2:24
すると、パリサイ人たちがイエスに言った、「いったい、彼らはなぜ、安息日にしてはならぬことをするのですか」。
2:25
そこで彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが食物がなくて飢えたとき、ダビデが何をしたか、まだ読んだことがないのか。
2:26
すなわち、大祭司アビアタルの時、神の家にはいって、祭司たちのほか食べてはならぬ供えのパンを、自分も食べ、また供の者たちにも与えたではないか」。
2:27
また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。
2:28
それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」。
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今日の『み言葉』について
http://www.donboscojp.org/sdblogos/D8_44.htm
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ヘブル人への手紙
(6:10-20)
6:10
神は不義なかたではないから、あなたがたの働きや、あなたがたがかつて聖徒に仕え、今もなお仕えて、御名のために示してくれた愛を、お忘れになることはない。
6:11
わたしたちは、あなたがたがひとり残らず、最後まで望みを持ちつづけるためにも、同じ熱意を示し、
6:12
怠ることがなく、信仰と忍耐とをもって約束のものを受け継ぐ人々に見習う者となるように、と願ってやまない。
6:13
さて、神がアブラハムに対して約束されたとき、さして誓うのに、ご自分よりも上のものがないので、ご自分をさして誓って、
6:14
「わたしは、必ずあなたを祝福し、必ずあなたの子孫をふやす」と言われた。
6:15
このようにして、アブラハムは忍耐強く待ったので、約束のものを得たのである。
6:16
いったい、人間は自分より上のものをさして誓うのであり、そして、その誓いはすべての反対論を封じる保証となるのである。
6:17
そこで、神は、約束のものを受け継ぐ人々に、ご計画の不変であることを、いっそうはっきり示そうと思われ、誓いによって保証されたのである。
6:18
それは、偽ることのあり得ない神に立てられた二つの不変の事がらによって、前におかれている望みを捕えようとして世をのがれてきたわたしたちが、力強い励ましを受けるためである。
6:19
この望みは、わたしたちにとって、いわば、たましいを安全にし不動にする錨であり、かつ「幕の内」にはいり行かせるものである。
6:20
その幕の内に、イエスは、永遠にメルキゼデクに等しい大祭司として、わたしたちのためにさきがけとなって、はいられたのである。
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Psalm:詩篇
(111:1-2,4-5,9.10c)
111:1
主をほめたたえよ。わたしは正しい者のつどい、および公会で、心をつくして主に感謝する。
111:2
主のみわざは偉大である。すべてそのみわざを喜ぶ者によって尋ね窮められる。
111:4
主はそのくすしきみわざを記念させられた。主は恵みふかく、あわれみに満ちていられる。
111:5
主はおのれを恐れる者に食物を与え、その契約をとこしえに心にとめられる。
111:9
主はその民にあがないを施し、その契約をとこしえに立てられた。そのみ名は聖にして、おそれおおい。
111:10c
主の誉は、とこしえに、うせることはない。
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◆今日の読書
ローマ人への手紙
(5:12-21)
5:12
このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。
5:13
というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。
5:14
しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、死の支配を免れなかった。このアダムは、きたるべき者の型である。
5:15
しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっている。すなわち、もしひとりの罪過のために多くの人が死んだとすれば、まして、神の恵みと、ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、さらに豊かに多くの人々に満ちあふれたはずではないか。
5:16
かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは異なっている。なぜなら、さばきの場合は、ひとりの罪過から、罪に定めることになったが、恵みの場合には、多くの人の罪過から、義とする結果になるからである。
5:17
もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。
5:18
このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。
5:19
すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。
5:20
律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。
5:21
それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。
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◆教会カレンダー
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◆今週の聖書朗読 (新共同訳)(イエスのカリタス修道女会)
http://www.m-caritas.jp/reading.html
◆携帯で読む聖書(口語訳)
http://www.keitaibible.net/m2/index.html
◆口語訳聖書(PDF版)
http://bible.salterrae.net/kougo/pdf/
◆カトリック千葉寺教会
http://www.chiba-net.or.jp/~sscchiba/
◆CNA今日の聖書朗読(英語)
http://www.catholicnewsagency.com/calendarday.php?date=2011-1-18
◆Douay-Rheims Bible
http://www.drbo.org/
◆The World English Bible
http://ebible.org/web/