1.14.2011

Today's Bible story

今日1月14日(金)も良い日でありますように。

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◆今日の聖書物語


マルコによる福音
(2:1-12)

2:1
 幾日かたって、イエスがまたカペナウムにお帰りになったとき、家におられるといううわさが立ったので、

2:2
 多くの人々が集まってきて、もはや戸口のあたりまでも、すきまが無いほどになった。そして、イエスは御言を彼らに語っておられた。

2:3
 すると、人々がひとりの中風の者を四人の人に運ばせて、イエスのところに連れてきた。

2:4
 ところが、群衆のために近寄ることができないので、イエスのおられるあたりの屋根をはぎ、穴をあけて、中風の者を寝かせたまま、床をつりおろした。

2:5
 イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。

2:6
 ところが、そこに幾人かの律法学者がすわっていて、心の中で論じた、

2:7
 「この人は、なぜあんなことを言うのか。それは神をけがすことだ。神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」。

2:8
 イエスは、彼らが内心このように論じているのを、自分の心ですぐ見ぬいて、「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを論じているのか。
 
2:9
 中風の者に、あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きよ、床を取りあげて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。

2:10
 しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに言い、中風の者にむかって、

2:11
 「あなたに命じる。起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。

2:12
 すると彼は起きあがり、すぐに床を取りあげて、みんなの前を出て行ったので、一同は大いに驚き、神をあがめて、「こんな事は、まだ一度も見たことがない」と言った。


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週日の福音朗読
年間第1金曜日 マルコによる福音(2:1-12)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_37.htm


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今日の『み言葉』について
http://www.donboscojp.org/sdblogos/D8_41.htm


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ヘブル人への手紙
(4:1-5、11)

4:1
 それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか。

4:2
 というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。

4:3
 ところが、わたしたち信じている者は、安息にはいることができる。それは、「わたしが怒って、彼らをわたしの安息に、はいらせることはしないと、誓ったように」と言われているとおりである。しかも、みわざは世の初めに、でき上がっていた。

4:4
 すなわち、聖書のある箇所で、七日目のことについて、「神は、七日目にすべてのわざをやめて休まれた」と言われており、

4:5
 またここで、「彼らをわたしの安息に、はいらせることはしない」と言われている。

4:11
 したがって、わたしたちは、この安息にはいるように努力しようではないか。そうでないと、同じような不従順の悪例にならって、落ちて行く者が出るかもしれない。


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Psalm:詩篇
(78:3,4bc,6c-8)

78:3
 これはわれらがさきに聞いて知ったこと、またわれらの先祖たちがわれらに語り伝えたことである。

78:4bc
 主の光栄あるみわざと、その力と、主のなされたくすしきみわざとをきたるべき代に告げるであろう。

78:6c
 そのまた子孫にこれを伝え、

78:7
 彼らをして神に望みをおき、神のみわざを忘れず、その戒めを守らせるためである。

78:8
 またその先祖たちのようにかたくなで、そむく者のやからとなり、その心が定まりなく、その魂が神に忠実でないやからとならないためである。


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◆今日の読書


ローマ人への手紙
(3:1-20)

3:1
 では、ユダヤ人のすぐれている点は何か。また割礼の益は何か。

3:2
 それは、いろいろの点で数多くある。まず第一に、神の言が彼らにゆだねられたことである。

3:3
 すると、どうなるのか。もし、彼らのうちに不真実の者があったとしたら、その不真実によって、神の真実は無になるであろうか。

3:4
 断じてそうではない。あらゆる人を偽り者としても、神を真実なものとすべきである。それは、「あなたが言葉を述べるときは、義とせられ、あなたがさばきを受けるとき、勝利を得るため」と書いてあるとおりである。

3:5
 しかし、もしわたしたちの不義が、神の義を明らかにするとしたら、なんと言うべきか。怒りを下す神は、不義であると言うのか(これは人間的な言い方ではある)。

3:6
 断じてそうではない。もしそうであったら、神はこの世を、どうさばかれるだろうか。

3:7
 しかし、もし神の真実が、わたしの偽りによりいっそう明らかにされて、神の栄光となるなら、どうして、わたしはなおも罪人としてさばかれるのだろうか。

3:8
 むしろ、「善をきたらせるために、わたしたちは悪をしようではないか」(わたしたちがそう言っていると、ある人々はそしっている)。彼らが罰せられるのは当然である。

3:9
 すると、どうなるのか。わたしたちには何かまさったところがあるのか。絶対にない。ユダヤ人もギリシヤ人も、ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘した。

3:10
 次のように書いてある、「義人はいない、ひとりもいない。

3:11
 悟りのある人はいない、神を求める人はいない。

3:12
 すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、ひとりもいない。

3:13
 彼らののどは、開いた墓であり、彼らは、その舌で人を欺き、彼らのくちびるには、まむしの毒があり、

3:14
 彼らの口は、のろいと苦い言葉とで満ちている。

3:15
 彼らの足は、血を流すのに速く、

3:16
 彼らの道には、破壊と悲惨とがある。

3:17
 そして、彼らは平和の道を知らない。

3:18
 彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。

3:19
 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られている。それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためである。

3:20
 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。


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◆教会カレンダー
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◆今週の聖書朗読 (新共同訳)(イエスのカリタス修道女会)
http://www.m-caritas.jp/reading.html

◆CNA今日の聖書朗読(英語)
http://www.catholicnewsagency.com/calendarday.php?date=2011-1-14

◆携帯で読む聖書(口語訳)
http://www.keitaibible.net/m2/index.html

◆口語訳聖書(PDF版)
http://bible.salterrae.net/kougo/pdf/

◆The World English Bible
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