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四旬節第4主日
◆今日の聖書物語
ヨハネによる福音
(9:1-41)
9:1
イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。
9:2
弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。
9:3
イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。
9:4
わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる。
9:5
わたしは、この世にいる間は、世の光である」。
9:6
イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた、
9:7
「シロアム(つかわされた者、の意)の池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。
9:8
近所の人々や、彼がもと、こじきであったのを見知っていた人々が言った、「この人は、すわってこじきをしていた者ではないか」。
9:9
ある人々は「その人だ」と言い、他の人々は「いや、ただあの人に似ているだけだ」と言った。しかし、本人は「わたしがそれだ」と言った。
9:10
そこで人々は彼に言った、「では、おまえの目はどうしてあいたのか」。
9:11
彼は答えた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目に塗り、『シロアムに行って洗え』と言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました」。
9:12
人々は彼に言った、「その人はどこにいるのか」。彼は「知りません」と答えた。
9:13
人々は、もと盲人であったこの人を、パリサイ人たちのところにつれて行った。
9:14
イエスがどろをつくって彼の目をあけたのは、安息日であった。
9:15
パリサイ人たちもまた、「どうして見えるようになったのか」、と彼に尋ねた。彼は答えた、「あのかたがわたしの目にどろを塗り、わたしがそれを洗い、そして見えるようになりました」。
9:16
そこで、あるパリサイ人たちが言った、「その人は神からきた人ではない。安息日を守っていないのだから」。しかし、ほかの人々は言った、「罪のある人が、どうしてそのようなしるしを行うことができようか」。そして彼らの間に分争が生じた。
9:17
そこで彼らは、もう一度この盲人に聞いた、「おまえの目をあけてくれたその人を、どう思うか」。「預言者だと思います」と彼は言った。
9:18
ユダヤ人たちは、彼がもと盲人であったが見えるようになったことを、まだ信じなかった。ついに彼らは、目が見えるようになったこの人の両親を呼んで、
9:19
尋ねて言った、「これが、生れつき盲人であったと、おまえたちの言っているむすこか。それではどうして、いま目が見えるのか」。
9:20
両親は答えて言った、「これがわたしどものむすこであること、また生れつき盲人であったことは存じています。
9:21
しかし、どうしていま見えるようになったのか、それは知りません。また、だれがその目をあけて下さったのかも知りません。あれに聞いて下さい。あれはもうおとなですから、自分のことは自分で話せるでしょう」。
9:22
両親はユダヤ人たちを恐れていたので、こう答えたのである。それは、もしイエスをキリストと告白する者があれば、会堂から追い出すことに、ユダヤ人たちが既に決めていたからである。
9:23
彼の両親が「おとなですから、あれに聞いて下さい」と言ったのは、そのためであった。
9:24
そこで彼らは、盲人であった人をもう一度呼んで言った、「神に栄光を帰するがよい。あの人が罪人であることは、わたしたちにはわかっている」。
9:25
すると彼は言った、「あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲であったが、今は見えるということです」。
9:26
そこで彼らは言った、「その人はおまえに何をしたのか。どんなにしておまえの目をあけたのか」。
9:27
彼は答えた、「そのことはもう話してあげたのに、聞いてくれませんでした。なぜまた聞こうとするのですか。あなたがたも、あの人の弟子になりたいのですか」。
9:28
そこで彼らは彼をののしって言った、「おまえはあれの弟子だが、わたしたちはモーセの弟子だ。
9:29
モーセに神が語られたということは知っている。だが、あの人がどこからきた者か、わたしたちは知らぬ」。
9:30
そこで彼が答えて言った、「わたしの目をあけて下さったのに、そのかたがどこからきたか、ご存じないとは、不思議千万です。
9:31
わたしたちはこのことを知っています。神は罪人の言うことはお聞きいれになりませんが、神を敬い、そのみこころを行う人の言うことは、聞きいれて下さいます。
9:32
生れつき盲であった者の目をあけた人があるということは、世界が始まって以来、聞いたことがありません。
9:33
もしあのかたが神からきた人でなかったら、何一つできなかったはずです」。
9:34
これを聞いて彼らは言った、「おまえは全く罪の中に生れていながら、わたしたちを教えようとするのか」。そして彼を外へ追い出した。
9:35
イエスは、その人が外へ追い出されたことを聞かれた。そして彼に会って言われた、「あなたは人の子を信じるか」。
9:36
彼は答えて言った、「主よ、それはどなたですか。そのかたを信じたいのですが」。
9:37
イエスは彼に言われた、「あなたは、もうその人に会っている。今あなたと話しているのが、その人である」。
9:38
すると彼は、「主よ、信じます」と言って、イエスを拝した。
9:39
そこでイエスは言われた、「わたしがこの世にきたのは、さばくためである。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである」。
9:40
そこにイエスと一緒にいたあるパリサイ人たちが、それを聞いてイエスに言った、「それでは、わたしたちも盲なのでしょうか」。
9:41
イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。
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サムエル記上
(16:1b、6-7、10-13a)
6:1b
さて主はサムエルに言われた、「角に油を満たし、それをもって行きなさい。あなたをベツレヘムびとエッサイのもとにつかわします。わたしはその子たちのうちにひとりの王を捜し得たからである。」
16:6
彼らがきた時、サムエルはエリアブを見て、「自分の前にいるこの人こそ、主が油をそそがれる人だ」と思った。
16:7
しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。
16:10
エッサイは七人の子にサムエルの前を通らせたが、サムエルはエッサイに言った、「主が選ばれたのはこの人たちではない」。
16:11
サムエルはエッサイに言った、「あなたのむすこたちは皆ここにいますか」。彼は言った、「まだ末の子が残っていますが羊を飼っています」。サムエルはエッサイに言った、「人をやって彼を連れてきなさい。彼がここに来るまで、われわれは食卓につきません」。
16:12
そこで人をやって彼をつれてきた。彼は血色のよい、目のきれいな、姿の美しい人であった。主は言われた、「立ってこれに油をそそげ。これがその人である」。
16:13a
サムエルは油の角をとって、その兄弟たちの中で、彼に油をそそいだ。
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Psalm:詩篇
(23:1-6)
口語訳では
(24:1-6)
ダビデの歌
24:1
地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。
24:2
主はその基を大海のうえにすえ、大川のうえに定められた。
24:3
主の山に登るべき者はだれか。その聖所に立つべき者はだれか。
24:4
手が清く、心のいさぎよい者、その魂がむなしい事に望みをかけない者、偽って誓わない者こそ、その人である。
24:5
このような人は主から祝福をうけ、その救の神から義をうける。
24:6
これこそ主を慕う者のやから、ヤコブの神の、み顔を求める者のやからである。
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エペソ人への手紙
(5:8-14)
5:8
あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい—
5:9
光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである—
5:10
主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。
5:11
実を結ばないやみのわざに加わらないで、むしろ、それを指摘してやりなさい。
5:12
彼らが隠れて行っていることは、口にするだけでも恥ずかしい事である。
5:13
しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。
5:14
明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。
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◆聖書のことば (益田カトリック教会)
http://www.iwami.or.jp/masuka/seisyokotoba.html
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◆こうじ神父 今週の説教
http://blog.goo.ne.jp/knkouji/m/201104
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◆今日の読書
ヘブル人への手紙
(7:1-11)
7:1
このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司であったが、王たちを撃破して帰るアブラハムを迎えて祝福し、
7:2
それに対して、アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えたのである。その名の意味は、第一に義の王、次にまたサレムの王、すなわち平和の王である。
7:3
彼には父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなく、神の子のようであって、いつまでも祭司なのである。
7:4
そこで、族長のアブラハムが最もよいぶんどり品の十分の一を与えたのだから、この人がどんなにすぐれた人物であったかが、あなたがたにわかるであろう。
7:5
さて、レビの子のうちで祭司の務をしている者たちは、兄弟である民から、同じくアブラハムの子孫であるにもかかわらず、十分の一を取るように、律法によって命じられている。
7:6
ところが、彼らの血統に属さないこの人が、アブラハムから十分の一を受けとり、約束を受けている者を祝福したのである。
7:7
言うまでもなく、小なる者が大なる者から祝福を受けるのである。
7:8
その上、一方では死ぬべき人間が、十分の一を受けているが、他方では「彼は生きている者」とあかしされた人が、それを受けている。
7:9
そこで、十分の一を受けるべきレビでさえも、アブラハムを通じて十分の一を納めた、と言える。
7:10
なぜなら、メルキゼデクがアブラハムを迎えた時には、レビはまだこの父祖の腰の中にいたからである。
7:11
もし全うされることがレビ系の祭司制によって可能であったら、民は祭司制の下に律法を与えられたのであるが、なんの必要があって、なお、「アロンに等しい」と呼ばれない、別な「メルキゼデクに等しい」祭司が立てられるのであるか。
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◆教会カレンダー
http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/
◆今週の聖書朗読 (新共同訳)(イエスのカリタス修道女会)
http://www.m-caritas.jp/reading.html
◆携帯で読む聖書(口語訳)
http://www.keitaibible.net/m2/index.html
◆口語訳聖書(PDF版)
http://bible.salterrae.net/kougo/pdf/
◆カトリック千葉寺教会
http://www.chiba-net.or.jp/~sscchiba/
◆CNA今日の聖書朗読(英語)
http://www.catholicnewsagency.com/calendarday.php?date=2011-4-3
◆Douay-Rheims Bible
http://www.drbo.org/
◆The World English Bible
http://ebible.org/web/