聖霊降臨の主日(祭)
◆今日の聖書物語
ヨハネによる福音
(20:19-23)
20:19
その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。
20:20
そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。
20:21
イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。
20:22
そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。
20:23
あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。
★使徒行伝
(2:1-11)
2:1
五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
2:2
突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
2:3
また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
2:4
すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
2:5
さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、
2:6
この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
2:7
そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。
2:8
それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。
2:9
わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
2:10
フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、
2:11
ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。
★詩篇
(104:1,24,29-31,34)
104:1
わがたましいよ、主をほめよ。わが神、主よ、あなたはいとも大いにして誉と威厳とを着、
104:24 主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。あなたはこれらをみな知恵を もって造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。
104:29
あなたがみ顔を隠されると、彼らはあわてふためく。あなたが彼らの息を取り去られると、彼らは死んでちりに帰る。
104:30
あなたが霊を送られると、彼らは造られる。あなたは地のおもてを新たにされる。
104:31
どうか、主の栄光がとこしえにあるように。主がそのみわざを喜ばれるように。
04:34
どうか、わたしの思いが主に喜ばれるように。わたしは主によって喜ぶ。
★コリント人への第一の手紙
(12:3b-7、12-13)
12:3b
また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。
12:4
霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。 12:5 務は種々あるが、主は同じである。
12:6
働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。
12:7
各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。
12:12
からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。
12:13
なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。
◆聖書のことば (益田カトリック教会)
http://www.iwami.or.jp/masuka/seisyokotoba.html
◆こうじ神父 今週の説教
http://blog.goo.ne.jp/knkouji/m/201106
◆今日の読書
ローマ人への手紙
(8:5-27)
8:5
なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。
8:6
肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。
8:7
なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。
8:8
また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。
8:9
しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。
8:10
もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。
8:11
もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。
8:12
それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。
8:13
なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。
8:14
すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。
8:15
あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。
8:16
御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。
8:17
もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。
8:18
わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。
8:19
被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。
8:20
なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、
8:21
かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。
8:22
実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。
8:23
それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。
8:24
わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。
8:25
もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。
8:26
御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。
8:27
そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。
◆携帯で読む聖書(口語訳)
http://www.keitaibible.net/m2/index.html
◆口語訳聖書(PDF版)
http://bible.salterrae.net/kougo/pdf/
◆教会カレンダー
http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/
◆今週の聖書朗読 (新共同訳)(イエスのカリタス修道女会)
http://www.m-caritas.jp/reading.html
◆カトリック千葉寺教会
http://www.chibaderacatholic.jp/
◆CNA今日の聖書朗読(英語)
http://www.catholicnewsagency.com/calendarday.php?date=2011-6-12
◆Douay-Rheims Bible
http://www.drbo.org/
◆The World English Bible
http://ebible.org/web/